日本経済新聞 (朝刊)東京本社版 2026年8月27日掲載

AIの急速な発展をはじめ情報技術の進化が続く中で、教育現場にもデジタル化の波が押し寄せている。2030年度改訂の学習指導要領では小中学校の情報教育が拡充される見通しで、デジタル教科書も導入される。子どもたちの学びはどう変わるのか。
2011年から人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」に取り組み、後に『ほんとうにいいの? デジタル教科書』『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を出版した国立情報学研究所社会共有知研究センター長の新井紀子氏と、SAPIX YOZEMI GROUP共同代表の髙宮敏郎氏が語り合った。
髙宮 改正学校教育法が成立し、2030年度以降、順次、小中学校、高校でデジタル教科書の使用が認められるようになります。ある種の特性を持つ子には役立つと思いますが、私はみんながデジタル教科書を使う必要はないと考えています。新井先生は2012年出版の『ほんとうにいいの? デジタル教科書』で、デジタル教科書をもてはやすムーブメントに一石を投じました。10年余りを経て、当時の問題意識は変化していますか。
新井 誰も後に続く人はいませんでしたが、今も問題は変わっていないと感じます。
髙宮 学校現場でデジタル教科書についてアンケートを取ると、特に低学年では「意識が分散する」「集中できない」といった心配の声が集まります。先生はデジタル教科書の問題点をどう捉えていますか。
新井 まずは脳の発達への影響です。人間は18歳ぐらいまでに脳を発達させ、嫌なことも長期的な視点で頑張るなど自分の欲望をコントロールできるようになります。小中学生に、授業に無関係なリンクをクリックしたいという誘惑を抑えるよう求めるのは無理がある。デジタル教科書から流れ込む膨大な情報量を消化できないまま、より強い刺激を求めるようになります。
髙宮 DX先進国が紙の教科書に回帰する中で、今なぜ日本ではデジタル教科書なのかと感じます。
新井 脳がまだ発達していない時期は、紙の教科書の例えば見開き2ページの少ない情報から読み解き、想像力を働かせて「これはこういうことかな」とイメージすることが大事です。そこからさらに実験を通じて確認する、友だちの意見を聞きながら確認するというゆっくりした時間軸を持ってほしい。想像力や推論、論理を働かせて、「ああ、分かった」というところにたどり着くプロセスが不可欠なのです。
髙宮 デジタルだとゆっくりとどまることができず、大量の情報に流されてしまう感じですね。
新井 子どもの脳は新しい情報からの刺激を受けやすいのです。じっくり読むより画面が次々変わる方が好きですし、その衝動を自分では抑えられません。特に発達が遅い子や学力が低い子が陥りやすい罠で、かえって格差が広がってしまいます。
髙宮 脳が発達していない時期に情報が多すぎるのは良くないという、非常にシンプルなことだと思います。
新井 考える時間をどれだけ持てるかということです。量ではなく質。質とは、考えることに耐える時間であり、自分との対話の時間です。その静謐な時間を持てることが大事で、雑音は少ない方がいいですし、クリックするボタンがいっぱいあるのは好ましくないのです。デジタル教科書を必要とする子がいるのは確かですが、すべての子どもに使わせることで新たなラーニングディスアビリティが生じる懸念が考慮されていないと思います。
小学校入学から18歳までの、生産する人、市民社会に参加する人を育てる12年間をどう設計するかという問題でもあります。学校は勉強するだけでなく、もっと抽象的な、集団生活等を通して市民社会に参画できる資質を育てる場でもありますから。
髙宮 新井先生とは2011年から「東ロボくんプロジェクト」でご一緒させていただきました。その後、さまざまな生成AIが登場して、大量の情報からそれらしい答えが出せるようになりました。ただ、そのプロセスの中でAI的な学び方ではAIに勝てず、限られた情報から自分の頭で考えて答えにたどり着くことがより重要と分かりました。
新井 人間がAIに代替されない能力とは何か。実際に起こっている現象から法則性を見出したり、これまでになかった概念を作り出したりすることでしょう。今、世界でいろいろなことが同時多発で起こっていますが、AIはそれを記事にすることはできません。誰かが記事にまとめたり、写真に撮ったりしていれば、そこから作れますが、最初の一歩はまだ踏み出せない。アンプラグドであることが人間の考え方を研ぎ澄ます方法かなと思います。
髙宮 AIが飛躍的な進化を続け、東大理三の入試で最高点を取るAIも出てきました。テキストを読み込んで模範解答を見つけるだけではないレベルに到達していますね。
新井 東大理三に合格するAIは、問題文や必要な情報が一度に参照できる範囲に整理して与えられる問題に強いんです。一方、余計なことをダラダラ会話した後で、以前に話したことを急に聞かれると、答えられないことがあります。賢いはずのAIですが、一番弱いのは記憶だと感じます。私はAIに毎日身の回りのことを話しかけて試しているのですが、わが家の二つの庭に12本と6本あるクリスマスローズの合計を正確に答えることができませんでした。何度も話題に上っていたにもかかわらず、過去の会話から必要な情報を取り出して結びつけることができなかったようです。人間の記憶とAIの記憶のあり方はまったく違うんですね。
髙宮 新井先生は「東ロボくんプロジェクト」と並行して大規模な読解力調査を実施し、日本の中高生の多くが教科書の文章を正確に理解できていない実態を発見しました。読解力を測定する「リーディングスキルテスト」も開発されました。リーディングスキルについて改めて説明していただけますか。
新井 リーディングスキルテストが登場するまでは、「教科書は読めますか?」と聞くと、「教科書ぐらい読めます」という反応でした。ところが、実際にテストを受けてもらうと、中高生だけでなく、新聞記者の方や学校の先生も間違える。自分が読めると思うイメージと、本当に読めているもののギャップの大きさに皆さん唖然とされます。一方で、東大合格者数で十傑に入るような学校の中学1年生は大人よりよほど読めています。非常に研ぎ澄まされた読みなんです。しっかり読めた子が偏差値の高い学校に受かっていると実感します。
髙宮 読む力のある子が教科のテストをクリアできているということですね。最近面白いなと思ったのは、日本最大級のオーディオブック配信サービス会社の創業者が文章を読むことが不得意な子だったということです。音読を始めて、耳からインプットする方法にたどり着いたことで東大にも受かったそうです。
新井 音読はいいですよ。音読というと国語で感情を込めて読むことと思われがちですが、社会や理科でも声に出して読むことで「なるほど」と分かることがありますし、算数の文章題を音読したら解ることもあります。視写もそうです。社会科の教科書や算数の問題を音読したり、視写したりすることでほぐれるものはありますし、中学生になっても音読させると理解が違うと、授業で実践している学校で聞きました。
髙宮 大人もつい読み飛ばしてしまいます。情報量が多い時代だからこそ、ちゃんと読むことが大事ですね。
新井 だから今、むしろデジタルデトックスを意識した方がよいと思うのです。大人だってスマホを触るのを我慢できなくなっている。子どもが依存しているなら物理的に離すのがいいわけで、一番いい方法が学校で使わないことです。学校にスマホもタブレットもなければ、その間は確実にデジタルデトックスができ、別のモードにチェンジできます。しっかり読んで、じっくり考えて、分かる手応えがあって、自分が育っている感覚が持てる方がいいに決まっています。
髙宮 アメリカでは配管工の給料が上がって、大学に行かなくても手に職があれば食べていけるという議論が起きています。AIの進化でホワイトカラーの半分が不要になるという時代に、大学で学ぶ意味はどう考えますか。
新井 まずは大学で学ぶ準備ができていないことに大きな問題があります。新聞や新書を一度も読んだことがない人が大学に入ってきて、指定された教科書やシラバスが読めないケースは少なくありません。大学で学ぶ準備の一つは、教科書が自力で読めることです。教科書を読んで自分で勉強し、それに関して発言ができる教育こそ高校で行われるべきです。
髙宮 大学側も中高でしっかり勉強して入ってきてほしいはずです。今は探究学習が活発で、そこをアピールする学校も少なくありません。ただ、私はコロナ禍の後は特に中学や高校では中高生らしく、各教科の勉強や部活、行事に精一杯取り組むことが大事だと思うようになりました。
新井 勉強が嫌いなら大学に行かなくていいんです。勉強が嫌いなのに探究することに無理がありますよね。社会の課題解決を探究するには必ず科学や数学が必要です。科学技術なしに社会課題を解決するのは難しいです。文系的な社会課題解決でも論理や数字に立脚しないと絵空事になってしまう。「高校生は探究するな」とは言いませんが、全員が探究しなくてもいい。周りの大人に過度な負荷をかけたり、お金がないとできなかったりというしわ寄せも来ていると感じます。
髙宮 中高生らしくという部分とあわせて、今後大事になるのはグローバルな視点ではないでしょうか。中高生が違う世界、違う社会の価値観に触れることはますます重要になると思います。
新井 私も留学しましたが、当たり前が当たり前ではないという経験は学生のうちにたくさんした方がいいと思います。
髙宮 実際に行かないと分からないことがたくさんありますから。
新井 その逆も真なりで、山崎エマさんという監督が撮った日本の小学校のドキュメンタリー映画は海外でも注目を集めました。これを見ると、自分たちで掃除をしたり、友だちと協力し合ったりという普通の小学校での生活が日本人を育てていると気付かされます。学校にはいろいろな機能と良さがあるのに、それを言語化できていないために「一斉授業よりAIが先生になる方がいい」といった主張に流されてしまいそうになりますが、実際は取り返しがつかないことになると思います。
髙宮 海外に学ぶのと同じで、違う視点で自分たちを見つめ直すことが重要ですね。
新井 中学や高校は不安定な10代の子の揺籃のようなもので、トライアンドエラーを繰り返す時期です。スポーツや勉強、生徒会活動などを通じてトライアンドエラーしながら自分を克己していく6年間なので、みんながバラバラに勝手に勉強するやり方がいいとは思えません。家庭の教育力が落ちている中で、学校が果たしている役割はとても大きいものです。先生をAIに代えていいわけがないですし、教科書もしっかり読み解かなくてはなりません。すべてのことは基礎があってこそ。学校生活というのは、静かな環境でそれをシンプルにやっていくのが大事だとつくづく感じます。
国立情報学研究所 社会共有知研究センター長 情報社会相関研究系 教授
新井 紀子 氏
一橋大学法学部卒業。米イリノイ大学大学院数学科博士課程を経て、東京工業大学(現・東京科学大学)より博士(理学)を取得。2006年より国立情報学研究所教授、08年より同研究所社会共有知研究センター長。11年よりAIプロジェクト「ロボットは東大に入れるか」のプロジェクトディレクターを務める。その後、基礎的読解力を測る「リーディングスキルテスト」の研究開発を主導。現在、一般社団法人教育のための科学研究所代表理事・所長を兼務。
SAPIX YOZEMI GROUP 共同代表
髙宮 敏郎 氏
1997年慶應義塾大学経済学部卒業後、三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)入社。2000年、高宮学園代々木ゼミナールに入職。同年9月から米ペンシルベニア大学に留学して大学経営学を学び、博士(教育学)を取得。04年12月に帰国後、同学園の財務統括責任者、09年から現職。SAPIX小学部、SAPIX中学部、Y-SAPIXなどを運営する日本入試センター代表取締役副社長などを兼務。